2022年も残すところ1ヶ月を切りました。今年1年何をやったか、そもそも今年上半期に何があったのか?すら記憶が薄れてしまっている方も多いと思います。そう書いている当の本人がそのことを思い出して、その結果当時話していた人に連絡を取ったりし始め、今年1年の締めくくりに向けて忘れ物を減らすように、、と書きながらも、実態は積極的に忘れてしまおうとしている自分がいます。
正直半年も放っておけるような事柄は、解決済みは解決しなくて良い事なのかもしれないです。
そもそも22年初頭に何をしていたか?私は毎朝早起きしてDMM英会話に勤しんでいました。目的はスモールトークの上達。3ヶ月程度続けた結果、別に学習が必要なのではなく実践するのみと諭され、退会。退会前に教えてもらった某オンラインコミュニティは登録後から有料会員になるようデジタルタッチのオンボーディングが続き、自動で迷惑フォルダに放り込んだ今でもkindlyなリマインドメールを送り続けてくる団体でした。
5月くらいから健康を言い訳に自転車に興味をもちBromptonと言う英国ブランドの折りたたみ自転車を購入し、暖かい季節はほぼ毎朝、都内を10数キロポタリングして過ごしました。YouTubeで散歩動画を見ているうちに都内の大豪邸巡りというカテゴリーを知り、ブロンプトンで乗り付けたり、折り畳みのメリットを活かしての輪行で現地に近い駅まで移動してから自転車で目的地を散策するといった、徒歩や電車移動だけでは得られなかった楽しみ方を体得しました。そうなると自転車自体の重さの重要さを知り、T-Lineというチタンボディーで最軽量のラインに興味が出てきてしまいました。
あと、夏にはここ数年通っている石垣島でワーケーションも実践しました。ワーケーションは勤務日と休日をしっかり家族と合わせる必要があるわけですが、休日であっても業務に巻き込まれることはあります。忙しいエグゼクティブなら、トラブル発生でせっかく朝からのんびりしてても、仕事が気になり休めないという人も多い仕組みなのかもしれないです。なので最低でも2週間。できれば1ヶ月は休暇を兼ねたワーケーションに充てる必要があるように思います。子供の夏休みをまる1ヶ月別の環境にできる期間も結構限られているとは思うので、そういうタイミングにはしっかり活用しておきたいと思いました。
そんなこんなで秋からこれまではあっという間に時間が過ぎた印象ですが、今年ほど充実感がなかった年はないでしょう。昨年がワーストと思ってましたが、そのワーストを更新したとは思う。さて、そのパッとしない仕事環境が、自分の人生にどれだけ関係あるのか?考えた方はお気づきかもしれませんが、実は大して関係ないとは思うのです。少なくともリモートワークメインになってからなおさら、そういう対面の頃にはあった情報量がバッサリなくなったわけですが、かれこれ2年くらいその生活を中心にしていると、元の状態に戻るとノイズが多くて耐えられなくなっているように思います。勝手な偏見で語弊があったら申し訳ないのですが、米国くらいに大きな土地で隣の家まで数マイル、次の街まで数十マイル以上あるようなエリアに過ごしていると、家族だけが人としてのコミュニケーション相手になるような世界なのかもしれないと思いました。割と都心で人が多いエリアに暮らしてはいますが、各々の世帯で仕事も違えば、生活時間帯も違う核家族同士のグループだと、それぞれの核家族が属するコミュニティーの情報量がコミュニケーションから得られる密度を決めていたのではないか、と感じました。幸にして子供を通じた地域のコミュニティというものもあるのですが、かつてないほどに地元という徒歩や自転車で行ける範囲のタグで情報に安心感を感じるようになったのが振り返って感じた感覚の違いかもしれません。
こうした感覚の変化を客観的に感じたのは“スマートノート”という仕組みで日々のメモをとって客観的に自分自身の変化の気づきを得る仕組みをとったからですが、私ですら2年前と違う感覚になっているので、おそらく世界の人々も同じように感覚が変容するといった事態にきっとなっていると思います。WW2以降、感覚的に理解し合えていたものではない核家族としての進化みたいなものを生み出しながらあ2022年は終わろうとしているのかもしれない、と思いました。
タイトルに書いた楽観、悲観はそうした過去にあったものを失ったことを悲観的に考えるべきなのか、なくても困らない今の毎日の感覚をベースにしてさらに成長していくべきか、この1ヶ月は考えてみたいと思ってメモ的に書いた次第です。よかったらコメントでもDMでも構わないので感じている感覚について色々感想を聞かせてください。
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